栃木・須藤正和さんリンチ殺人 隠された真実

栃木・須藤正和さんリンチ殺人 隠された真実

栃木県上三川町にある日産自動車栃木工場を舞台に1999年12月、凄惨なリンチ殺人事件が発生した。殺害の実行犯でリンチを主導したのは同社社員で、殺された被害者も日産の社員だった。ところが会社は二人をまったく同じ処分理由で諭旨免職にしていた。
そこに隠された真実とは―――。

それは天国にいる被害者、須藤正和からの「啓示」だったのかもしれない。
2か月前、私は都内のホテルで缶詰になって原稿を書いていた。4月23日に出版される『栃木リンチ殺人事件 警察はなぜ動かなかったのか』〔草思社〕の締め切りが目前に迫っていたからだ。資料の山を整理していると、一枚の書類がパラリと落ちた。正和が勤めていた日産自動車から送られてきた「通知書」だった。それまで何度か目にしてはいたが、まったく情けないことに、この書類が持つ重大な意味については私も気づいていなかった。

< 須藤正和 従業員就業規則第85条第6項により諭旨退職(退職金不支給)に処する 1999年11月24日 日産自動車株式会社 >

これは、処分通知書ではないか。正和は殺害実行犯の日産自動車社員を含む三人の少年グループに監禁され、凄惨なリンチの果てに殺された。この間、当然、出社はできなかった。当初はそれが長期無断欠勤と受け取られていたことは知っていたが、まさか処分の対象になっていたとは。
私は、さっそく栃木県黒羽町で理髪店を営む正和の両親に問い合わせた。すると、両親も処分については初耳だったようで、非常に驚いた様子だった。
父の光男と母の洋子が正和の遺品から日産自動車の「従業員就業規則」を見つけ出した。第85条には諭旨退職および懲戒解雇に関する該当事項が列挙されていた。問題の第6項、正和の処分理由を読んだとき、私は全身に鳥肌が立つのを感じ、頭に血が上っていくのをはっきりと自覚した。
< 第85条第6項  会社施設およびその敷地内において、窃盗、暴行、脅迫、その他これに類する行為をしたとき>
冗談じゃない。正和は殺された被害者だ。なぜこんな処分になるのか。しかも加害者の日産社員も、まったく同じ処分だった。そんなばかな話はない。
だが、私がこの事件の取材を通じて知った日産という会社の体質を冷静に考えると、ありうる話しかもしれないと思った。ほぼ1年にわたる取材の結果、私はこのリンチ殺人事件の本質を語るうえで、正和が勤めていた日産の責任に言及しないわけにはいかないことに気がついていた。その理由はおいおい書くとして、その前に「事件」をざっと振り返っておこう。
栃木県市貝町にある山林で、日産自動車栃木工場に勤める当時19歳だった須藤正和が惨殺死体で発見されたのは、1999年12月5日のことだった。
殺害の容疑者として逮捕されたのは正和と同じ日産自動車栃木工場社員の植村隆宏〔仮名〕と中学の同級生で主犯格とされる藤原勝〔同〕、松下将樹〔同〕の三人で、いずれも当時19歳の少年たちだ。
正和は殺害されるまでの約二カ月間、犯人たちに監禁され、カネを脅し取られ続けた。金額は合計で約700万円にものぼる。すべては犯人グループの「飲み食いと遊ぶカネ」に消えた。
正和を殺した犯人たちは遺体を山林に埋め、さまざまな証拠隠滅を施したあげく「15年逃げきれば時効になる」とビールで乾杯までしていたという。
だが、最後にグループに加わった16歳の少年が警視庁に自首したため、彼らの思惑は打ち砕かれ、遺体発見の日にグループ全員が逮捕されたのだった。

同期入社の社員に殺された!
事件が当時、世間の関心を集めたポイントは「警察はなぜ動かなかったのか」ということだった。息子の異変に気づいた両親の再三の訴えにもかかわらず、栃木県警はなぜか、いっさい取り合おうとしなかった。
元警視庁警察官の私も当時、多くのメディアからコメントを求められたが、明確な答えは、その時点では出せなかった。それが、私がこの後もこの事件を追い続けることになったきっかけのひとつになった。
一審の宇都宮地裁の判決では、主犯格の藤原と殺害実行犯で日産社員の植村が無期懲役、松下が懲役5年以上10年以下の不定期刑となった。このうち藤原は控訴したが、今年1月29日に東京高裁の二審判決では、求刑通り無期懲役とした一審判決を支持し、被告側控訴を棄却した。被告が上告しなかったため、刑は確定した。
刑事的にはこれで事件は”終わり” だが、残された遺族にとっては何も終わっていなかった。公判や報道を通じて新たな事実が次々と明らかになっても「警察はなぜ動かなかったのか」という根本的な謎は解き明かされるどころか、ますます深まるばかりだったからだ。
正和の両親は、この4月23日に栃木県警と加害者側を相手取って宇都宮地裁に損害賠償請求訴訟を起こすことを決めた。請求額は総額で1億2000万円になる見込みだという。
一方、私は犯人グループ全員の捜査段階での供述調書などの資料を入手し、関係者への取材を進めた。元警察官のジャーナリストとしてこの事件を論証したかったからである。
事件の舞台となった日産自動車栃木工場は、セドリックやシーマなど高級セダンの生産を中心に、他工場への部品供給拠点の役割も果たす、日産最大規模の基幹工場で、かのカルロス・ゴーン社長が自ら試乗に訪れたテストコースがあることでも知られている。
殺害実行犯の植村の父親もかつてこの栃木工場に勤めていたが、植村が小学生の時に退社した。98年5月には両親が離婚、植村は母親に引き取られた。
植村は高校卒業後、日産栃木工場に就職した。同期社員の一人が正和だった。二人は同じ第二鋳造部に配属され、同じ更衣室でロッカーが隣同士になった。この”偶然”が、以後の惨事の発端となった。
これから書くことは、犯人グループの供述調書などを基にした事件の再現である。まずは正和の監禁からリンチへ、そして殺害へ至る過程をたどってみることにしよう――。

おとなしい人柄につけこんだ!
「日産に俺のパシリ(使い走り)がいるから、そいつを呼ぼう。須藤ってんだ。あいつはおとなしそうな男だから、カネを貸してくれと強くいえば……」
日産社員の植村が他の中間にそういって正和を呼び出したのは99年9月29日のことだった。
正和は日産栃木工場の同僚の誰に聞いても、非の打ちどころがない、まじめで勤勉な社員だった。中学時代の同級生で、同じ年に日産栃木工場に入社した友人は、こう振り返る。
「ちょっとでも体調不良を口にすると、水と薬を持ってきてくれた。携帯電話の支払いに困って1万円借りようとすると、『それだけで生活できるの?』と、3万円を快く差し出すような優しいヤツだった」
若い社員がいやがる残業も進んで引き受け、事件に巻き込まれるまでは1日の欠勤もなかったという。そんな正和の性格を知っていた植村は、「やくざにクルマをぶつけてしまい、修理代を要求されている。カネを貸してほしいんだ……」と持ちかけた。
正和が呼び出された場所には、藤原、松下の二人もいたが、人を疑うことを知らない正和は、3人を連れたまま銀行に行き、自らの貯金の全額7万円を引き出し、植村に貸し与えた。これに味をしめた犯人らは、以後、正和を監禁し、「カネヅル」として使い続けることになる。「明日は会社を休んで、サラ金に行ってカネを借りてくれないか」と持ちかけて、コンビニエンスストアで買ってきたハサミとカミソリで長髪だった正和をスキンヘッドに剃りあげた。そうして、この日は手に入れたカネヅルに逃げられないようにするため、植村らが一晩中正和を連れ回すことになったという。
逮捕後、植村は正和を恐喝の対象に選んだ理由について、「まじめでおとなしそうだったから」と供述している。正和のやさしすぎる性格が、あだになってしまったことは確かなようだ。この日の出来事をきっかけに正和はたびたび欠勤するようになり、やがてまったく出社しなくなるのだが、もちろんそれは本人の意思ではなかった。会社を休まされた正和は、植村らに強要されて消費者金融の無人契約機をハシゴさせられ、借金を重ね、そのカネを植村ら3人に奪いとられていたのである。だが、正和一人に借金させるには限界がある。そこで思いついたのが、正和を使って正和の両親、友人や日産栃木工場の同僚から借金させることだった。三人は、れっきとしたこの恐喝行為を「ご融資」と呼んで楽しんでいた。リンチが単に殴る蹴るですまなくなったのは、三人が正和を監禁してまもない10月初旬のことだった。正和を連れ回し、栃木県宇都宮市内のスナックを飲み歩いていた時に起きたある事件がきっかけだった。そのとき、植村が、「須藤、おまえも飲め!」と、焼酎のストレート一気に飲み干させた。正和は気を失い、3人にラブホテルへ連れて行かれた。地獄はまさにこのときから始まった。

火であぶり大やけどさせた!
泥酔状態の正和が部屋で失禁したため、風呂場で洗ってやろうとしたとき、「熱いシャワーでも浴びせれば起きるだろう」と思った植村が、最高温度のシャワーを正和にかけた。最初はそのまま眠っていた正和もそのうち、「アッチ、アッチ」と叫んだが、酔いのためまたぐったりとする。植村には、そんな正和の苦痛の様子がおもしろくてたまらない。「よし、今度は起きるまでかけてやれ」あわてふためき、本能のままに身をよじり、身を守るために手でシャワーをさえぎる。「アッチ、アッチ」と泣き叫ぶ正和を見て歓喜した植村は、みんなにこう持ちかけた。「これは殴る蹴るよりも効果があるぞ。今度からこれをやろう」
このリンチは、テレビ番組のコーナーから名前をとって「熱湯コマーシャル」と名づけられた。これが、昼間は正和を使って知人や友人らに「ご融資」をさせ、夜は夜でホテルに泊まってリンチを加える生活の始まりだったのだ。
植村が再びとんでもないリンチを思いついたのは、監禁生活が始まってから一カ月後の、10月25日の午前3時ごろだった。主犯格とされる藤原がホテルの部屋にあった殺虫剤のスプレーの噴霧に火をつけて正和を脅して遊んでいるのを見て、植村がこういいだした。「これはおもしろそうだ。たまには変わったことがしたかったんだ。須藤に炎を浴びせてやろう」
「そんなやめてください」と正和は訴えたが植村は藤原から殺虫剤を受け取ると、言った。「服を脱げ!」衣服への引火を防ぐためだった。そしてドアの前に立たせ、3、40センチの至近距離から、殺虫剤のスプレーに着火、腹をめがけて火炎を浴びせた。
「熱い、やめてください」大で叫びながら、その場を飛び跳ね、両手で火炎から身を守ろうとした正和は、このとき右手に大やけどを負ってしまった。
殺虫剤が焼ける強烈な刺激臭と、正和の肉が焦げるにおいが入り交じり、部屋には異臭が漂ったが、植村の攻撃は執拗だった。全裸で逃げ惑う正和を追い回し、今度は性器をめがけて火炎を向ける。体をねじり股間を手でかばった正和は、太ももにも大やけどを負った。「熱い熱い。すいません、すいません」と、大声で泣き叫ぶ正和を部屋の隅に追いつめ、背中一面に容赦なく火炎をふりかけた。
こうして正和は右手、下腹部、両太もも、背中にやけどを負った。水ぶくれができ、皮がむけてベロベロになった。肉は真っ赤に腫れ上がっていた。だが、火炎攻撃を終えてからも、日課となっていた熱湯コマーシャルを怠ることはなかった。この日のことを植村は警察の調べに対して、こう話している。
「泣き叫びながら『熱い』『すいません』というのがおもしろくてやった。どうせやけどをするのは須藤だし、自分が熱いわけではないので気にしなかった」
リンチは時間を経るごとに、さらに凄惨さをきわめていった。火炎攻撃でやけどを負った正和の体は、その後に続いた熱湯コマーシャルのために見るも無残になった。皮膚はボロボロにただれ、傷口からは体液がジグジグ流れ出し、腐敗も始まっていた。それでも無理やり風呂場に連れて行かれた。抵抗すれば「お仕置き」と称して、狂ったように殴りつける……こんな繰り返しに、正和もしだいに抵抗する気力を失ったようだ。
マンネリ化したリンチへの刺激なのか、11月20日から数日間、渋谷のカプセルホテルに泊まった時は、ほかの客も入ることができる大浴場へ正和を連れて行き、それぞれ最高温度にしたシャワーを持って、狂ったように奇声を発しながら正和に襲いかかる「一斉射撃」をしたという。

コップで精液を飲ませた!
それだけではない。正和を浴槽の縁に座らせ、三人で交互にまわし蹴りを食らわせるなど、想像を超える暴行も加えた。そのたびに正和は沈められ、もがきながら這い上がった。
新たなリンチの手口を考えつくのは、たいてい日産社員の植村だった。
熱湯シャワーを20秒間浴びせることを1セットとし、毎朝毎晩4.5セットの頻度でリンチを加えることも発案した。「忍耐」を強要し、肉体だけでなく、精神的にもダメージを与えることを楽しんだ。その後、犯人グループの一人に藤原が六本木で知り合った当時16歳の高橋直之〔仮名=少年院送致の保護処分〕が加わった。
凄惨なリンチ場面を初めて目の当たりにした高橋がこっそり、「殴られるのは慣れているのですか?」と正和に聞いたところ、こう答えたという。「殴られるのに慣れはないんですけど、やっぱりいたいですよね……」
渋谷のカプセルホテルを後にした一行は、11月28日に宇都宮に戻った。正和の肉体はすでにボロボロだったが、この日、泊まったホテルでもリンチはエスカレートしていった。翌午前1時ごろ、藤原が正和に植村の悪口を言わせようとした。「いやです」言えば言ったで新たなリンチの口実になる。正和が断ると、松下が追い打ちをかけるように脅す。
「言わなかったら、熱湯だぞ。熱湯と悪口いうのと、どっちがいいんだ」「熱湯はいやです」と正和が言うと、今度は植村が、「上等じゃね―か。ハイ、熱湯コマーシャルね。さあ、裸になれ」と殴りながら命令し、正和の服を脱がせて風呂場に連れていったという。正和の人間としての尊厳をも蹂躙する、信じがたいリンチが行われたのは、植村の熱湯コマーシャルが終わった直後のことだ。
浴室のドアの前に、コップを持った松下が立っていた。中身はオレンジジュースだったが、一目で白いドロドロした液体が混じっているのがわかった。
松下が命令した。「俺の精子が飲めないのかよ……」
リンチはこの瞬間に一線を超えた。熱湯シャワーを浴びせられ続けた正和の体から湯気が立ち上がり、体力的限界のなかでそれが何かを悟り、一瞬、嫌な顔をして拒否したが、考えるまもなく松下の言葉に屈服せざるを得なかった。
私が三人の供述調書からこのシーンを読み取ったときの感覚は、とても私の拙い文章で書き表せるようなものではなかった。戦慄を覚えた?いや、そんな簡単なものではない……。
あらゆる暴力と脅迫で正和をいたぶり続けた犯人たちが、とうとう肉体的苦痛を超え、人としての尊厳まで冒してしまったのだ。しかも、これは単なる狂気のはじまりにすぎなかった。
「おまえたちもオナニーしろ。あと3分で出せなかったら須藤にフェラチオさせる。それでも出せないやつは罰金10万円だ」主犯格の藤原が、植村らにそう命じたのだ。
結局、射精できなかった高橋が、正和にフェラチオされ、藤原がその写真を撮るという異常な事態に発展した。一方、植村はコップの中に射精していたが、そこに小便をして正和に突き付けた。

日産が憎いと両親は言った!
「一気に飲め……」
それが終わると、犯人たちは再び風呂場へ正和を連れていき、植村が羽交い絞めにし、松下が正和の胸から下腹部にかけて熱湯シャワーを浴びせたというのだから、これはもはや人間の行為では断じてない。
だが、ひとたび一線を超えてしまうと、狂気はエスカレートする一方だ。11月30日の午後、パチンコから帰ってきた藤原と植村が景品でとってきたスパゲティを作り、正和に見せびらかすように食べた。その食べ残しを、「吐き出したら熱湯だからな。わかっているな」と言って、正和の口に無理やり詰め込んだ。その時の様子を、高橋はこう供述している。「須藤さんの唇は連日の顔面殴打で腫れ上がっていました。必死にスバゲティを詰め込もうとする須藤さんの右目はギョロッと剥いた牛の目のようで、左目のまぶたはつぶれ、右目とは対照的にとても小さくなっている感じでした」
正和が日産栃木工場の同僚、植村から呼び出されて二カ月目、殺害される2日前のことだった――。
それにしても、なぜここまで凄惨なリンチが二カ月にもわたって続けられたのか。なぜ、両親の再三の訴えにもかかわらず、警察は動こうとしなかったのか。
この1年ほど、私は正和の両親と二人三脚で真相の究明を続けてきた。この間に正和の新盆があり、一周忌があった。だが、正和が勤務していた日産栃木工場からは、誰ひとりとして訪れる人もなく、哀悼の言葉ひとつなかったという。そして、なぜ日産自動車は正和を殺人犯と同じ処分にしたのかという新たな疑問も浮上した。
日産自動車広報部主管の濱口貞行は
「須藤君に対する処分は事件の全容を知り得なかった当時の会社の判断としては妥当だった。会社は事件解決のためにいろいろ手を尽くしたのに、悪く言われるのは心外ですね」と語ったが、これは私の取材と食い違いがある。事件発生から今日までの日産自動車の対応を振り返り、さらに正和の処分内容を知った父の光男は、「もちろん、犯人は憎いけれど、いまは日産と警察が憎い……」と、感情をむきだしにして、こぶしを強く握りしめた。そして、これまで「倅の会社の車だから」と大切に乗っていた日産ローレルを売り飛ばし、トヨタ車に乗り換えた。
この意味するところはいったい何なのか。

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