ゴーン社長 聞いてください!!

ゴーン社長 聞いてください!!

「栃木リンチ殺人事件」の被害者、須藤正和の両親は、愛車の日産ローレルを捨て、トヨタ車に乗り換えた。息子が日産社員に殺されたうえ、「諭旨退職」という汚名を着せられたままだからだ。
日産は処分を撤回しないばかりか、「当時の判断は妥当だった」と、あくまで主張を変えないのだ。

本誌前号が発売された2日後の4月19日、日産自動車社員に殺された須藤正和の両親のもとへ突然、日産自動車栃木工場の総務部長、人事課長ら幹部3人がやってきた。
父、光男からの電話でそれを知った私は、記事を読んだ日産幹部が反省して、正和の不当な処分を撤回しに来たのだとばかり思い、
「それはよかったですね」
と言ったところ、光男から意外な答えが返ってきた。
「それが違うんですよ。私らもね、てっきりそうかと思って対応したら、日産の上司らは、正和が人事に書いて送った『退職願』を戻すから、問題の『処分通知書』を返してくれっていうんだわ。きっと処分の件が報道されて騒ぎになったんで、あわてて私らの手元にある”証拠”を引き揚げに来たんでしょう」
もはや驚くべきことではないかもしれない。これが日産自動車という会社の”体質”なのか。
新盆にも一周忌にも顔を出さなかった日産幹部は、
「焼香をさせてほしい」
と言ったが、両親が、
「あんたら、それより前にやるべきこと(正和の処分撤回と名誉回復)があるんじゃないの。(焼香は)それを済ませてからにしてください」
と言って追い返した。
当然の感情だ。両親にとって日産は、息子が「お世話になっていた」会社であると同時に、息子を殺した「殺人犯の雇い主」でもあった。
前号で詳報したように、正和は日産栃木工場同期入社の植村隆宏(仮名)に呼び出され、植村を含む3人の犯人グループにカネを脅し取られたあげく監禁され、約2カ月にわたる壮絶なリンチの果てに殺された。実際に正和の首を絞めた実行犯は、日産社員の植村だった。
ところが”雇い主”の日産は、殺された正和も、殺した植村も、まったく同じ「諭旨退職処分」にしていた。事件の全容が明らかになった現在もなお、正和の処分は撤回されておらず、当然、退職金も支払われていない。こんなバカな話はないのである。
しかし、日産はいまだにことの重大さをまったく認識していないようなのだ。
日産栃木工場の幹部が両親の家から「処分通知書」を回収しようとした日の翌日、日産自動車広報部の濱口貞行主管から本誌編集部へ1通の内容証明郵便が届いた。
本誌前号の記事に事実誤認があるので、訂正してほしいというものだった。濱口主管が指摘した誤りは正和の処分理由に関するものだ。
前号で私は問題の「処分通知書」の文面を紹介した。
〈須藤正和
従業員就業規則第85条第6項により諭旨退職(退職金不支給)に処する
1999年11月24日
日産自動車株式会社〉
そして、両親が正和の遺品から見つけ出した「従業員就業規則」には、

〈第85条第6項
会社施設及びその敷地内において、窃盗、暴行、脅迫、その他これに類する行為をしたとき〉
と記されていると書いた。
ところが、濱口主管の指摘では、日産は99年4月1日付で就業規則を一部改定しており、第85条第6項は、
〈出勤状況が不良であって、数回にわたり注意を受けても改められないとき〉
となっているという。
それはそうだろう。いくらなんでも、正和の処分理由が「窃盗、暴行……」ではひどすぎる。本誌は濱口主管の指摘を受け入れ、次号で就業規則に改定があったことを明記する旨、確約したが、それでは納得できないという。
内容証明郵便には、
〈弊社としましては、上記について貴誌記者の誤った認識がなければ今回の記事掲載(すべて)は見出し及び記事構成から判断して成立しなかったものと考えます〉
と書いてあった。
つまり、改定された現行の就業規則なら正和の処分が撤回されないのは当然で、本誌の批判は成り立たないというわけだ。そして、
〈間違った情報を基に週刊朝日として掲載した旨、紙面及び発売前広告(中吊り広告・新聞広告)において明記していただきたい〉
と要求してきた。
就業規則の条文がどうであろうと、記事が成立するのは明らかだ。それについては後で詳しく検証する。
濱口主管はまた、
〈先日貴殿が弊社を訪問された際、幣職より「確認させていただく」と申し上げ、貴殿もそれを了解されたにも係わらず、一方的に記事化され、しかも誤った記事として掲載されたことに対し、大変遺憾に思います〉
とも言ってきた。
これは正和の名誉にもかかわることなので、ここできちんと反論しておく。
取材班が東京・銀座の日産本社を直撃したのは4月12日のことだった。応対した濱口主管に、記者の一人が両親から預かった就業規則のコピーを提示しつつ、もう一人の記者が条文を読み上げた。
もし、濱口主管がこの条文を不審に思うなら、その場で指摘すればよかったのだ。しかし濱口主管からは、「その条文は古いのでは」とか「確認させてほしい」という留保はいっさいなかった。社内にいたのだから、その場でデスクに戻って就業規則を確認することもできたはずだ。
濱口主管があくまでも、
「処分は事件の全貌を知り得なかった当時の会社の判断としては妥当だった……」
という主張を繰り返すだけだったので、記者の一人が、
「そうではなくて、事件の全容が明らかになった現在もなお、正和君の処分が撤回されず、退職金が支払われていないのは問題ではないか」
と問い直すと、
「それは、人事のほうに確認しておきましょう」
というになった。
だが、前号締め切りまでにその回答はなかった。翌週月曜日に再度、質問のファクスを送ったところ、初めて条文が改定されたことを伝えてきたというわけだ。

処分撤回には、「ノーコメント」
しかし、就業規則の条文がどうあろうと関係ないのだ。正和の両親や私が問題視しているのは、
1. 正和が「諭旨退職処分」にされていた、
2. その処分が殺人犯の植村と同じ内容だった、
3. しかも、処分は正和の遺体発見から1年以上たったいまも撤回されていない、
ということだ。
正和の父、光男も、
「理由がなんであろうと、処分は絶対に納得できない。従業員就業規則が改定されたというなら、なんでウチの伜は古い規則しか持っていなかったのか。そもそも、日産は私らにさえ処分理由をいっさい説明していないんです。ウチの伜は同じ日産社員の植村らに拉致・監禁され、暴力の限りを尽くされた被害者です。それがなぜ、処分されなければならないんですか」
と憤る。日産は、就業規則が改定されたのだから、この両親の訴えも不当であるというのだろうか。会社としての見解を問いただしたが、ほかの質問事項とあわせて、
〈これまでの捜査当局の調査及び裁判の内容で明らかになっているものと考えますので、改めて弊社としてのコメントは差し控えさせていただきたいと存じます〉
と回答してきた。要はノーコメントというわけである。
日産側が見解を明らかにしないのだから、独自に検証を進めるほかはない。
日産は、99年4月に改定された就業規則に基づき正和を処分した。事件の全貌を知り得なかった当時の会社の判断としては妥当だった――と主張している。現行規則の第85条第6項には、
〈出勤状況が不良であって、数回にわたり注意を受けても改めないとき〉
とある。本当に「数回にわたる注意」をしたのかも問い合わせたが、前述のようにすべての質問に対して「ノーコメント」だった。仕方がないので、私が独自に入手した日産関係者の参考人調書や裁判資料、関係者への取材などで知り得た事実をもとに、当時の状況を振り返ってみる。
日産栃木工場の上司が正和の異変に気づいたのは、99年9月30日のことだった。本人から工場の人事課に、
「親から実家に帰ってくるように言われたので休ませてください……」
と電話があったという。
実はその前日、正和は日産社員の植村に呼び出され、現金を巻き上げられていた。
植村を含む犯人グループの3人は、正和を一晩中連れ回し、逃げられないようにするために正和の頭をスキンヘッドに剃り上げていた。
それが地獄へ続く監禁と壮絶なリンチの始まりだったことは、前号で詳述した。
直属の上司は、正和についてこう供述している。
「まだ仕事がテキパキできるほうではなかったが、自分なりにコツコツと努力し、4月から9月までの間は順調に働き続け、念願のマイカーを購入するために社内貯金も毎月2万円にアップしていた」
人事課の担当者も、正和の出勤簿をチェックし、正和が9月2日までは一日も欠勤することなくまじめに勤務していたことを認めている。
それが一変したのは、日産社員の植村に呼び出されてからのことだ。前出の人事担当者によれば、植村に連れ回された9月30日に、正和は入社後、初めて年次有給休暇をとった。10月1日と4日も年次休暇扱いで、6日と7日は遅刻してきたが夜勤につき、8日の夜勤を最後にまったく出社しなくなったという。

心配する両親に
「退職願いを出せ」
会社は、その後も年次休暇扱いにしたが、やがて休暇を取りきってしまい、それ以後は無断欠勤となり、処分の対象になったという。
だが、欠勤が正和の意志でなかったことは明らかだ。正和はこの間、犯人グループに監禁され、力ずくで職場から引き離されていたのである。職場への連絡も10月29日を最後に途絶えていた。
つまり会社側が出勤状況について「数回にわたり」注意しようとしても、この間はできなかったはずなのだ。
父の光男は、こう語る。
「日産も初めはいろいろと心配してくれていると思っていたけど、ある時期からは、とにかく『退職願を出せ、退職願を出せ』しか言わなくなったからね。それはもう毎日でしたよ。そんなに言うんだったら、正和は植村といっしょにいることがわかってるんだから、植村に言ってくれという気持ちになってこともあった。だけど、あのころは会社に迷惑かけちゃいけないって思ってたからね。正和から電話があったときも、『会社に退職願を出しなさい』ってね。結局、日産は企業イメージを守るために、伜に汚名を着せて切り捨てたんだよ。私ら親子は、ほんとにお人よしだったんだね……」
退職願の”督促”は、正和の上司が夜勤のときは朝、昼勤のときは夕方、毎日定期便のようにあったという。
そのころ、当の正和は、植村らに暴行され、熱湯シャワーを浴びせられ、まさに瀕死の状態にあったのだ。そんな正和さんの行方を両親が必死に捜していたころ、日産栃木工場の総務部人事課長名での配達証明郵便が届いた。
〈平成11年10月27日
須藤正和殿
出勤督促状
あなたは、平成十一年十月二十六日より、欠勤となっています。欠勤をする場合は、事前に所定の様式により届け出をし、欠勤の理由等について会社の承諾を得なければなりません。(中略)会社の承諾なく欠勤を続けると会社は就業規則にしたがってあなたを解雇することになります。(中略)また、勤務する意志がない場合は、早やかに退職の手続きをしてください〉
あて先は両親の住所だったが、あて名は正和になっていた。もちろん、正和がこれを受け取る機会は最後までなかった。事件後、両親が正和の住んでいた日産の寮を片づけていると、同じ文面の郵便が出てきた。日産は、正和が受け取れないことを知っていたからこそ、実家の住所にもまったく同じ文書を送り付けてきたのではないか。

両親は激怒した「訴訟も考える」
ただ、事情はどうあれ正和が欠勤を続けていたことは事実である。問題は、正和が事件に巻き込まれた可能性について、当時、会社は認識していたかどうかなのだ。
実は、私は「事件の全貌を知り得なかった」という日産側の主張について強い疑念を抱いているが、ここでは直属の上司が警察の調べに、次のように供述していることを指摘するだけにしておく。
「10月29日の午前8時50分ごろ、須藤から電話がありました。係の指導員が最初にその電話をとったが、須藤の声は『もしもし、もしもし』とか細く言うだけで、ほとんど聞き取れないくらい小さな声でした。それが、私の職場への最後の電話になりました。それまでの須藤の勤務状況や態度から(無断欠勤など)信じられず、ひとつの考え方としては、だれかに見張られ、逃げ出すことができなかったのかもしれないと感じたのも事実で、本当に残念な結果に終わり冥福を祈るだけです」
仮に百歩譲って、この時点での日産の判断が妥当だったとしても、処分が撤回さていないことに対する合理的な理由はどこにもない。
正和の同僚の一人は、事件後、日産の上司から、
「須藤はな、会社に来ないからクビになったんだ」
と聞かされ愕然としたという。この同僚は事件の全容をほぼ知っていたからだ。だが、いまだに「クビになった」と信じる同僚も少なくない。実際に処分が撤回されていないのだから、「クビ」というのも間違いではないが・・・。
父の光男は、こう語る。
「少なくとも昨年3月14日の初公判の段階で、検察側の冒頭陳述によって正和が監禁されて会社に行けなかったことは明らかにされている。そこには日産からも総務部の担当者が来て、傍聴していた。あれから丸一年、日産は事情を知っていながら、正和の処分を放置し続けたのです。私たちは正和の処分撤回を強く求めます。そして、日産の態度いかんによっては、訴訟も辞さない覚悟です……」
すでに判決が言い渡された裁判でも、正和が犯人らに監禁され、出社できなかった状況が認定されている。
もし、私が正和の「処分通知書」の存在に気づかず、本誌がその問題点を指摘しなければ、日産は正和の処分について永遠にほおかむりするつもりだったのか。今後も、撤回する意志はないのか。
4月21日現在、日産は栃木工場の幹部が両親から「通知書」を回収しようとしただけで、処分の撤回はない。
本社広報部はあくまで「ノーコメント」という態度なので、私は日産自動車トップのカルロス・ゴーン社長に直接、質問の手紙を送った。
日産はゴーン社長になって業績を上げた。有能な経営者なのだろう。労組のボーナス要求に一発で満額回答をしたとも聞く。正和の両親や私の主張は不当だろうか。
ゴーンさん、あなた考えをお聞かせください――。

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